【司牡丹 土佐の超辛口 零下生酒 】
【司牡丹 土佐の超辛口 零下生酒 】
400年以上前の慶長8年(1603年)、関ヶ原の合戦直後……
徳川家康から土佐24万石を賜った山内一豊に伴い、土佐に入国した山内家の首席家老 “深尾和泉守重良”…
佐川1万石を預かる深尾氏に従ってきた商家の中に、御神酒造りを業とする「御酒屋」の名が見られます。
出典https://www.tsukasabotan.co.jp/history_culture/yurai.html
「名字・帯刀」を許された、格式ある蔵元こそ、現在の”司牡丹” です。
こうして、佐川の地には由緒正しい酒造りが脈々と受け継がれていき…
深尾家出入りの”御用商人”として、誇りある名は酒史に刻まれました。
佐川町出身の元宮内大臣 田中光頭伯や、坂本龍馬はじめ…
中岡慎 太郎 亡き後の陸援隊長などに愛飲された “佐川の酒”…
「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」
当時、激励の一筆を寄せています。
…前回、NHKの連続テレビ小説の舞台は佐川でした。
出典https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/
牧野富太郎博士をモデルに描いた「らんまん」…
牧野博士は、佐川出身の造り酒屋の息子です。(譲渡後、司牡丹に…)
大正7年、佐川の酒造家たちが結集して”司牡丹酒造”が誕生しました。
●” 神饌” を生業とした酒史●
山内一豊とともに、土佐に入国した山内家の首席家老 “深尾和泉守重良”…
余談ですが… 明治以前の造り酒屋は、御神酒造りを生業としてきました。
元々、日本の国は「水の都」…
東京には、107の河川があるとされます。
徳川家康が整えたのは「治水」…
治水の着手により、江戸は開かれました。
日本には四季があります。
食料としての田んぼ。
治水としての田んぼ。
神々のルーツでもある、いのちの米、いのちの水…
「稔れば稔ほどに 頭を垂れる 稲穂かな…」
稔は年と読みます… 暦の意なのですね。
春の田植えに始まり、稔りの秋に感謝しての酒造り…
水稲農耕こそ日本文化そのものであり、國酒である所以です。
…かつては、神事のときにしか飲酒は許されませんでした。
稲は、たった一粒の種籾から二千粒も三千粒も実をつけます。
本来 “祭り”とは、稔りの秋を迎え心を込めて祝す収穫祭でもありました。
“清酒”とは… 自然の恩恵に感謝する、清き御神酒(神饌)に由来します。
神宮が護り伝えた、豊穣感謝祭の神饌が原点です。
酒造りは 神事と共に在り、成り立ちも同じです。
杜氏は、 度會の「刀自」に由来するとされます。
“真名井の水”を授けた天村雲命は、度会神主の祖とも伝えます。
(※ 三重県伊勢市… 明治9年まで度會県度会府)
●司牡丹 零下生酒●
冬から春先にかけて搾られた “本生酒” です。
そのフレッシュな味わいを大切にするため、
一切「火入れ」せずに低温熟成させました。
春から夏にかけて荒々しさがやわらぎ、なめらかさをおびていきます。
「夏の生酒」の魅力は、なんといっても清涼感あふれる瑞々しい味わい。
搾りたての頃の華やかな香りと、フレッシュ感はそのままに…
荒々しさが落ち着き、なめらかで軽快な口当たりを楽しめます。
御紹介は、初夏にぴったりな 呑み疲れのしない風味が特徴の本醸造酒。
淡麗超辛口が持ち味の司牡丹が造るお酒は、キリリと飲みごたえ抜群。
●土佐の酒通といえば「いごっそう」…●
まさしく辛口の酒を指す代名詞です。
この司牡丹は、なかでも王位に座するほど…
呑み疲れしない、お酒に仕上がっています。
超辛口で爽快でありながら、ふくらみある本醸造の生酒…
香りフレッシュ、しっかり旨味もあってキレていきます。
…展示会で試飲してきましたが、素晴らしい出来栄えで別格です。
…辛口の酒をお探しの方々には、ぜひともお勧めしたい一本です。
アルコール度数……16.0~16.9
日本酒度…… +9
酸度…… 1.6
アミノ酸度……1.3
使用米 ……きぬむすめ(島根)、コシヒカリ(高知)、五百万石(兵庫)、八反錦(広島)、北錦(兵庫)
精米歩合……(掛米・麹米) 65%・65%
酵母……きょうかい7号
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