【菊の司 純米大吟醸 てづくり七福神】
【菊の司 純米大吟醸 てづくり七福神】
元和年間(1615~1623)創業…
伊勢松阪から陸中郡山(岩手県紫波郡紫波町日詰)に移り…
初代平井六右エ門が御宿を開業したのが始まりとされます。
安永年間、六代目六右エ門が酒造業を開始。
同所が、有名な “日詰平井邸” となりました。
1927年 、酒造工場を盛岡市紺屋町に移転…
2021年、経営不振などで公楽に事業譲渡。
出典https://www.tohoku-sakurakaido.jp/sakagurakaido/sakagura/view/93
翌2022年、老朽化を理由に雫石町に移転。
故郷に根差した、多くの造り酒屋が辿った道のりですが…
順風満帆ではなく、荒波に翻弄された時代もありました。
殊に明治を境に、変遷と紆余曲折を経て現在に至ります。
元々 酒造りとは、日本の“稲作”文化そのものが原点です。
“清酒”という呼称は… 自然の恩恵に感謝する、清き御神酒(神饌)に由来してきました。
(※酒造りとは、明治まで神宮 度会神主家が護り伝えた豊穣感謝祭の神饌が原点です)
また杜氏という呼称は、神主家 “度會”の刀自が起源とも云われます。
(※三重県伊勢市… 明治九年まで度会県度会府)
●手づくり純米大吟醸●
御紹介の「てづくり七福神」は、1966年に発売。
発売当時は、まだ「大吟醸」というスペックのお酒は市場に出回っていない時代でした。
三倍増醸酒という、醸造アルコール、糖類、酸味料などで量をかさ増ししていました。
当時の日本酒業界では、考えられない「手造り」…
まさに手間暇を惜しまず、丁寧に造られました。
以後およそ半世紀に渡り皆様からご愛顧いただき、さらに香味を磨き続けてきました。
時代を越えて、今日においても信念を貫き進化を続けています。
機械導入による省力化が進む、日本酒業界のなかで…
初心を忘れずに、手造り製法を伝承し続けています。
●七福神と北斗七星の関係●
七福神の由来等には、諸説ありますが…
七福神は、北斗七星にも例えられます。
…古より度會神主家では、月と星を鑑みて暦・方位を伝えてきました。
社寺の手水舎には 、”ヒシャク”が置いてあります。
“北斗七星”を顕しているとも伝えられています。
航海では舵を司る羅針盤となり、時を知らせる時計ともなりました。
ちなみに、北極星を回る北斗七星の位置が『十二支』となりました。
北斗七星の位置を知ることで、日本の”暦”は誕生したとされています。
日本の国には、いのち育む四季があります。
稔は年とも読みます… 暦の意なのですね。
常に感謝の心と共にある…
いのちの水、いのちの米…
春の田植えに始まり、稔りの秋には感謝しての酒造り…
今も醸された日本酒は、高貴な’神饌” そのものであり…
かつて神事(祭り)のときしか口にできませんでした。
昔から福徳の神様として、日本で信仰されてきた七柱…
七福神は、年末年始に杯を傾けるに相応しい一本です。
●想いは、五感を駆使して醸す…●
日本酒の製造には、酵母と米が酒へと発酵する過程が必須です。
麹菌や酵母などは、自然界の微生物とともにあり…
伝統ある発酵方法は、日本の国にのみ存在します。
明治まで “神饌”として伝えてきた証でもあります。
「五感を駆使して酒を醸す…」
感覚を研ぎ澄まし、酵母や麹など微生物たちの働きを感じ取る…
酒造りの深い境地に達するため、必要不可欠なこととされます。
上品で、穏やかな香と米本来が持つ甘味…
染み渡る旨味は、酵母の健全な発酵から…
そんな想いを込めて手造りで醸されます。
「本州一寒い」と言われる、盛岡の冬の最も寒さの厳しい時期…
10度前後の冷水で丁寧に米を洗い、泊まり込みで麹を作ります。
およそ1カ月の長期低温発酵を経て、醸し上げています。
今も続く手造りは、「七福神」の物語となっています。
大吟醸の市販酒がない1966年、全国に先駆けて発売…
時代の変化に合わせて、より良く磨き上げてきました。
岩手の酒造好適米「吟ぎんが」を使用し50%まで精米…
余計な甘味を残さず、すっきりと辛口に醸し上げた純米大吟醸です。
丁寧に低温熟成させ搾り、1度火入れで無ろ過ビン詰めしています。
盛岡の冬を想わせる、凛と品ある吟醸香…
なめらかにスルリと流れる淡麗辛口です。
「食中の純米大吟醸酒」として、特に冬の食卓に…
どんな料理とも、相性良くお楽しみいただけます。
アルコール度数……15度
精米歩合……50%
日本酒度……+3.0
酸 度……1.3
#菊の司#純米大吟醸 #手づくり#七福神#岩手県#市#田中屋#山田錦#米は五百万石#近藤酒造#日本酒好き#sake#Japanesesake#米#酒好き#japanesedrink#日本酒#地酒#酒屋#浪漫酒創庫あつみ#愛知県#岡崎市